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アストロロジカル・サイン

TW2、シルバーレインのPC『終日魁斗』『神代結城』『白夜ほのか』『終日揺光』のブログ兼SS置き場。

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【銀雨SS】The Nunber of The Beast




“思慮のある者よ、獣の数字を解くがいい。

 その数字は人である。その数字は666。


 破滅の定めを謳えよ。その罪悪は666。

 完全ゆえに飢餓する、その生命は666。

 汝が心の奥底に眠る、獣の悲哀すうじは666”










  * * * 



 ――愛していました。



  * * * 



 一つ伸びをして、食器を片付け終えた。

「ん、おしまい。……さって、宿題やらんと」

 使い慣れない厨房は居心地が悪かったが、まぁ慣れるまでの辛抱か。

 水気を拭いて、包丁を仕舞う。

 ここの制服とは違う、家事用のエプロンをはずして畳んで所定の場所へ押し込む。

 キッチンが元から広いため、普段は二人で片づけをやるのだが、今日に限ってはその限りではない。

 結城とほのかは倉庫の整理、七紙さんは書類の整理と忙しい。

 引っ越してからまだ二週間と経っていない。することは多い。

「従業員室もまぁ、広くなったというかなんというか……」

 奥へ突っ切っていって階段を上る。

 ここに引っ越してきて敷地面積やら内装やらは変わったけれど、一階が喫茶店で二階が事務室と居住スペースなのは変わらない。ついでに三階という新たな領域が付随した。

 事務室のドアノブを回す。

「うぃー、終わったぞ」

「あら、ありがとねトトちゃん」

 事務室では七紙さんが一人書類を整理していた。

「えーと、土地関係の権利書はこっちよね……あ、この書類違うファイルじゃない」

「……忙しそうだな」

 整理している書類の量が半端ではない。机にうずたかく積みあがった紙束の山。

「手伝わせたいけどダメよ、こういうのはまだ任せられないし」

「そのようで。まぁせいぜいがんばれよオーナー」

 七紙さんはてきぱきと紙の山を切り崩していく。

「うーん、この書類はもういらないわね。あら、なんでこのメモここにあるのかしら。……あ、そうそうトトちゃん、早くお風呂入っちゃって。結城くんも揺光ちゃんも済ましてるから」

「んー、まぁいいか。りょーかい」

 宿題は後回しだ。後がつかえるのはよろしくない。

「あと、夜更かしもほどほどにね。吸血鬼に言うことじゃないでしょうけど」

「バレてたか。いいじゃないの、兄妹の語らいくらい」

 引っ越す前日から、俺と揺光は星を見ながら屋上で話をしている。

 少しずつ距離を縮めていかないといけない。

「……ふむ、兄貴としての自覚はできたわけね。てっきり揺光ちゃんのキュートなフェイスにメロメロでエロエロに爛れた関係へごーとぅーへぶんなんだと」

「吊るし上げるぞコラ」

 ……いや、うん、たまに見せる嬉しそうな笑顔とか頭なでたときの肩の竦め方とかドキッとしたりするけど、おそらく過去のフラッシュバックであって決して七紙さんが言っているようなことはそんな何一つあるわけないじゃないかだって兄妹だし。

 いや、良く考えると戸籍上あっちが姉なんだがそもそも俺は記憶喪失で戸籍は名前と性別と誕生日以外全て捏造なのだった。今度そこんところも聞いてみよう。

「ふーむ。……このシスコン」

「違うっつってんだろうに!」

 逃げるように部屋へ急ぐ。違う俺シスコン違う。シスコンとかブラコンっていうのは水城とその兄さんのような関係であってだな、いや訂正アレはまぁうん、そういう域を超えてるよな多分。兄離れはしたらしいけどどうなんだろう実際。

 部屋に入って宿題を一通り眺めながらまぁ三十分だなと目測。屋上に上がる前でいいか。

 ケータイに着信はなし。メール打とうかと思って風呂入るしやめとこうと中断。

 雑多な思考とともにジャケットを脱ぐ。シャツとズボンの替えを引っ張り出して風呂場へ。

 いやそもそもシスコンという形容そのものが間違っていてだな? まだ会って一ヶ月も経ってないんだぞ? それにやることといったらただ会話するだけだし、別段溺愛しているわけでもなくてだな。

 風呂場に服を積んでから、洗顔剤忘れた、と部屋に取って返す。

「……あれー、どこだ」

 探すこと五分、旅行トランクの中から洗顔剤を見つけ出すことに成功。……片付けはあとででいいや。

「なんでこんなとこに……あぁ、部屋の片付けのときに放り込んだんだっけ」

 部屋を出た先の廊下で、事務所から出てきた揺光とばったり出会った。

「……っ?!」

 え、ちょ、なんでそこで顔を赤くする。こっちまで恥ずかしくなるじゃないか。えぇいどこの初々しいカップルだおい。

 なんでもなにも、原因は事務所から出てきたということで確定的に明らかだが。

「え、えーと、その。なんだ」

 心の中で魔法の呪文「七紙さんは死ね」を百回唱えながら声をかけてみる。

「に、兄様……えっと、その」

 揺光はもじもじとうつむきながら、

「今夜も……お待ちしていますの……」

 ……ゑー。

 このタイミングでそんなこと言いますか貴方。心臓に悪いでしょう。ちょっとトキメいたとかそんなことはないと何度以下略。

「お、おう。また後でな」

 揺光はたたたーっと走り去ってしまう。……なんだろう、その、とりあえず微妙にあいている隙間から今のやり取りを観察していた変態を懲らしめるべく全力でドアを回し蹴った。

 けたけたけたという笑い声に真面目に殺意を覚えたが実行したところでどうあがいても返り討ち必至なのでこれは忍耐の勝負だ。耐えろ、負けるな俺。

「……って、そうだ風呂」

 さっぱり気分を入れ替えるためにも早く風呂に入ろうと思う。こう、なんかいろいろとむしゃくしゃしてるんで。

 引っ越してから風呂場の位置が変わった、ついでに広くなった。突き当たりを曲がったところのドアを開ける。

 しっかし、それにしても七紙さんはいい加減にしてほしい。言っても聞かないからしょうがないんだが。もう少しこう自重というものをだな――

「……は」

「……え」

 硬直。停滞。思考は凍り付いて停止中。


 ドアを開けた先に服を脱いだほのかがいました。


 は? いや待て待ておかしい。だってつい五分前に俺風呂場に向かった。たった五分でバッティングとかありえないだろ普通というか、

 双方行動なし、思考解凍できず。そらそうだ、七紙さんのとこにきてまだ一度もこんなことなかったわけで、対処法とか良く知らないわけでして、

 つまり俺がとるべき行動は一つ。

「――さっっっせんしたぁぁぁ!!!」

 全力でドアを閉めて壁まで一気に後退。

 そうしてようやく思考に火がつくんだから手に負えない。

 平素からあまり気にしていなかったがアレのスタイルは並々ならぬものがあって、それを再確認したというかなんていうかその。

 顔が真っ赤にというか鼻血があふれかねない光景だったことを思い返していや何してる俺思い出すなあんなもの精神衛生上よろしくない非常によろしくない。

 雪のように白い肌とか、

 手入れの込んだ長い黒髪とか、

 透き通った藍い瞳とか、

 高校生とは思えない胸とか、

 刺激が強すぎて脳裏に焼きついてしまって一向に離れやしない。

「く、くそ……不意打ちにもほどがある、だろ……!」

 やべ、鼻血出てきた。

 しかしあのプロポーションは高校生じゃないだろ、腰のくびれとか胸のサイズとか、って何を思い出してる俺。忘れろ今すぐ。

 悶々としながらとりあえず鼻血止まれと、壁に背を預けて休憩。そして落ち着け俺。



  * * * 



 どくん。どくん。とくん。とくん。

 鼓動がうるさくて、理性なんて飛びました。



  * * * 



 ……よし、少し落ち着いてきた。

 部屋に戻ってティッシュ詰めよう、と思って腰を浮かせる。

 がちゃ。

「――!?」

 反射的に土下座モードに移行する俺はおそらく現在世界屈指のダメ人間なんだと思う。

「顔、あげて?」

 ほのかは優しく言う。……え、怒ってない? と一秒先の地獄絵図に希望が差したところで顔を上げたら

 なんで下着姿のまま?

「ちょ、おまおまおまおま……!?」

 再び壁際まで後退。えぇいくそ前かがみになるなやめろ目に毒だからお願い!

「はい、服」

 ほのかは全く気にせず、俺の服を手渡す。……いや何故に。何故にそれだけのために出てきたお前。

 でも無意識に受け取る俺。

「ふふ、鼻血すごいよ?」

「っ誰の、せいだとって近寄るなってやめろやめろ!?」

 ゆっくりと近寄ってくるとんでもない姿の少女。三つ編みを解いているのがいやに印象的だ。

 あぁ、こいつ三つ編み解くとこんなに姫っぽくなるんだなぁ、と現実逃避。

 とくん とくん

「……うふ」

 ――その藍い瞳に魅入られる。

 ぐい、と裾を引かれる。体勢を崩された俺は覆いかぶさるように倒れる羽目になる。

 どくん とくんとくん

 そいつは妖艶に微笑んで、何事かをささやいた。

 どくん どくんどくんどくん――

 あぁ、こいつなにか違うのか。理解は一瞬、ただし肉体の制御は不可能、とてとて、ばさっ。

 首を傾けて、音がしたほうを見てみる。

「……ぇ」

 本を落として、目をまん丸に見開いた我が妹がそこにいて。

 さて、ここで終日魁斗脳内コンピュータ再起動。現状分析をしてみよう。

 俺は今ほのかを押し倒す形になっている。鼻血付き。ほのかはほのかでとんでもない姿である。

 ほのかの表情はいやに扇情的。自分がどういう顔をさせられていたかは不明。

 結論、死亡フラグキタコレ。

 顔を真っ赤にして、真っ青にして、と揺光の表情がころころ変わっていく。

 あぁまてお前は今壮絶に勘違いをしていると言おうとしてまぁその反応が普通ですよねとなるほど納得。そういえば彼女がいるって話もすでにしていたっけか。

 揺光はその後ふっと無表情になって、嫌悪の瞳になって、最終的に怒りに身を震わせて、

「――不潔ですの、死んでしまいなさい淫乱色魔!」

 そう叫んで階段を駆け上がっていってしまった。

「あ、あははは、は……は」

 不潔って言われた。淫乱とか言われた。妹に言われた。すごい剣幕で言われた。

 絶望で胸いっぱい。壁に向かって体育座りしてのの字書く。

「あー……うん、大丈夫?」

「大丈夫じゃ……ない……」

 きーらわーれたー。うふうふ。そりゃそうだ、兄が実は浮気性とかもう死ねってレベルだよねうん、問題は冤罪だということだ。

「じゃあ――慰めてあげよう」

 ……こいつは、どうやら、

「本気でイカれたかお前っ!?」

 背後からホールドにかかる華奢な両腕をかいくぐって廊下を駆け戻る。

「あ……」

 呆然とした声をバックに走り抜け、そのまま部屋へ駆け込んでドアを閉めて鍵をかける。

「はぁ……」

 あのやろう、と悪態をつきながらとりあえず休憩。

 おそらく元凶であろう魔術師に自爆覚悟で殴り込みを入れようと思うが、その前にまず鼻血を止めよう。



  * * * 



 逃がしてしまった。

 まぁ、どうせ捕まえるんだし、今は逃がしておいてあげよう。

 どくん、とくん、どくん。



  * * * 



「えー? 何、別に私何もしてないわよ?」

 うそーん。俺は頭を振る。

「嘘つけ、あんた以外にあんなことをさせるヤツはいないだろ」

「だから、その私が何もしてないんだから、それはほのかちゃんの意思でしょうって言ってるのよ」

 七紙さんは作業の手を止めて、こっちに向き直る。

「……いや、おかしいだろ。なんだってあんな」

 その先は色々とまずいので口には出さないでおく。

「まぁ、それは本人に問いただすしかないんだけど……なるほどね、役得じゃないトトちゃん良かったわね、あんな子のカラダ見れるなんて」

「死ね」

 そんなもんのために体裁捨てられるほどアレでもない。冗談で言うならいつものことだが。

「んもう、冷たいわね……と。ふむ、まぁでもそういうことでしょう。ついに本気でトトちゃん陥落計画始動、なんじゃない?」

「……頭痛くなってきた」

 この先ずっとあーいうハプニング(故意の)が続くとかありえない。それなんてエロゲ。

 そもそも俺には彼女がいてだな。そんな裏切り行為は許されない。

「世界中の男の子の夢を今体現しているんだから早くイケるとこまでいっちゃ……っと危ないわね、そんなに殺意込めなくても」

 びーん、とコルクボードに突き立つナイフ。……あ、抜き打ちできた。やったね。

「……しっかし、どーすりゃいいんだ、これ」

 七紙さんに心当たりがあるなら元を絶てばよかったのだが、そうもいかないとなると手の打ちようがない。

 なんとかしてあきらめさせるか、せめて落ち着いてもらわないと。

「……どーすりゃいいんだ」

 途方にくれて、ため息をつくよりほかにないのだった。



  * * * 



 我慢できなかったので、飛び出してみました。

 大地を駆けるのは、とても心地よいです。

 思わず我を忘れてしまって、つい本能のままに飛び回っていました。



  * * * 



「あー……うん、それはしょうがない」

 和服の少年はふっと息を吐いた。

「しょうがないじゃないですの! 兄様、すでに相手がいるって」

「うん、だから、魁斗の故意では絶対にない」

 あの情事を目撃して、勢いで屋上まで駆け上がってみたら、丁度刀を振るう結城さんとばったり出会った。

 私は相当すごい顔をしていたらしく、「大丈夫?」と素で聞かれてしまったのである。

「……本当ですの?」

「それくらい分かってるよね? 魁斗、良くも悪くも裏切れない人だから」

 それは、確かにそうなのだけれど。

「……じゃあ、あれは」

「ほのかさん自身が無理やり、偶然、七紙さんの差し金、のどれかないし複数、かなぁ。ほのかさんが七紙さんにけしかけられて魁斗に突撃するのは割りと良くあることだよ」

「そ、そうなんですの……」

 兄様、苦労しておられるのですのね……。

「まぁうん、役得といえば役得だ。ほのかさん、綺麗な人だし」

 素でうなずく。体つきもさることながら、あの滑らかな黒髪は同じ黒長髪としてはうらやましい。

「だから……そうだね、魁斗をいびるくらいの権利はあると思うよ、僕」

「そうですの! 私にもそれくらいの権利はあってしかるべきですの!」

 別に羨ましいというわけではない。兄に恋しているわけでは決してなくて、

 ただ、ちょっと裏切られた気分になったんだから、それの報復くらいはしなくては。

「その調子その調子。……しかし、揺光さん」

 結城さんは口元に手をやってしばらくうなった後、

「……うん、けっこーブラコンだよね」

「なっ……!?」

 ブラコン、私が?

「そ、そんなわけありませんの! 嫌いなわけでは決してありませんが兄様に『恋愛感情なんてそんなありえませんの!」

「うーん、その反応はふむ。魁斗はモテるねぇ」

「違うと、言っていますのに――!」

 くつくつと笑う結城さんに腕を振りかぶって抗議する。違うの、違いますの、ただ、その。

「被告人の意見を聞きます、どうぞ?」

 結城さんは裁判官風にたずねてくる。

「……に、兄様に久しぶりに甘えられるって思うと、その」

「判決は超がつくブラコンということでよさそうですね」

「ち、違うと言っていますのに! 結城さんのいじわる!」

 顔を真っ赤にして必死に否定しているのに、結城さんはくすくすと笑うのをやめない。

「まぁ、魁斗も大概シスコンだし丁度いいんじゃないかな、うん。……まったく、仲良くなってからは二人でニコニコラブラブいちゃいちゃ」

「してませんの――!!!」

 こうなれば武力行使である。ほとんど体当たり風に両腕を叩きつけてみる。

 はっはっは、と全く意に介さない結城さんっておかしいですの、これでも割と本気で叩いていますのに。

「うー……」

「あはは、よしよし。まったく、甘えんぼなのかなんなのか……軽いからいいですけど」

 ふてくされる私の頭を……て、私いまどういう体勢、に、

「――も、申し訳ありましぇっ」

「よしよし、可愛い人だなぁ。……いや、なるほど。魁斗がシスコンになるのも頷けるかもしれない」

 顔が火照る。……決めた。反撃しよう。

「わ、ちょっと揺光さん?」

 力を抜いて、しなだれかかってみる。

「……結城さん」

「な、なんで、しょう」

 ……全く、可愛いのはどっちのほうなのか。

「なんだかとっても……女の子っぽいんですね、結城さん」

「っ、ここでそれを言いますか貴方!?」

 笑いをかみ殺して、そーっと胸板、首筋、頬となでてみる。服の上からでも分かる、しなやかに鍛え上げられた体つき。

「――ッ!?」

「……うぅ、女性から見ても羨ましいくらいの肌ですの」

 そんなことをしていたら、本当に男性なのか疑問に思えてきた。

 なんというか、さっきまでの恥ずかしさが一気になくなったというか。

 ……つまり、こんな可愛い子が男の子なはずがないですの。

「むぅ……」

 背がちょっと高いが、そんなのは気にならない。

 なんというか、神様のいたずらというやつなのだろうか。

 凜と佇んでいれば大和撫子で、わたわたしていても可愛らしい少女なのだ。これだけ女性的なら、道を歩いていれば誰か振り向いたりするんじゃなかろうか。

「……揺光、さん」

 森ではそれこそ一人だったから、こうやって誰かと一緒にいること自体がまれだ。

 密接するとなるとなおさらである。

 正直に言えば。

 気恥ずかしさなんかよりずっと、安心とか暖かさが先立っていた。

(……むう、不埒ですの、私)

 いや、その、なんというか。

「揺光さんって……なんというか、甘えんぼさん?」

「ち、違いますの――!!」

 以下、無限ループ。



  * * * 



 別に愛しいと思ったわけではない。

 ただ、それを望まれたから、叶えたほうがいいだろうと感じた。

 どくん、どくん、どくん。



  * * * 



 ……どくん、どくん。

 鼓動が聞こえて、視線を上げた。

「……結城、さん?」

 ――その黒い瞳に魅入られ

(暗示――!?)

 る寸前、抵抗に成功した。

 どくん。

「……なに、を」

 いや、違う。

 結城さんに魔術の心得はなかったはず。それにここまで高度な暗示術を私は知らない。

 否――

(そもそも、魔術じゃないですの、これ……!)

 どくん、どくん。

 抵抗魔術を張ってなお、意識がぐらつく衝撃。

 その、一瞬の朦朧で。

 どくん。どくん。どくん。

 抱きすくめられたのを感じた。

「……っ!?」

「……甘えたいなら、好きなだけ」

 ざざ、ざざ。

 どくんどくん。

(これは、酷い)

「……いえ、もうお暇させていただきますの」

 そう断って、手を振り払う。

 腕は、簡単にはがれた。

「それでは、良い夜を」

 言い捨てて逃げるように部屋を後に。

 あの場にとどまるのはまずい。

 彼の左腕は、腰の刃に伸びていた。

(しかし、強い暗示……強制ではなく、刷り込むものでしたの)

 抵抗解除を呟いて、意識を現実へと持っていく。

(……刷り込み、開放、心象の顕現。……いえ、まさか)

 それはありえない。そんなものがあるはずがない。

 脳裏をよぎる悪い予感を振り払って、とりあえず兄の様子を見に行こうと考えて。

「……って、まさか」

 先程の一見も、これ関係だとすると……!?

「まずい、ですの――兄様」

 階段を駆け下りて、一直線に兄の部屋へ。



  * * * 



 空の綺麗な夜。

 どくん。

 宵闇を縫って歩きながら、芳醇な香りを愉しむとする。

 どくん。

 嗚呼、美しきは闇に浮かぶ。

 どくん。

 刃に映る笑い月――



  * * * 



 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 煩いなぁ、もう。

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 鼓動は耳にこびりついて離れてくれない。

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 煩いから、綺麗な音を聞きたかった。

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 ――澄み切った濃い音は、綺麗な綺麗な紅色でした。



  * * * 



「やっぱ、そうか」

 揺光の話を聞いて一つ頷く。

 ほのかだけでなく結城もそうであったというのなら、見えてくるものはある。

 解としては、ここでもっとも起こりうる可能性として挙げられる物。

「……倉庫、だな」

「だと思いますの。倉庫の中の、おそらく魔術的、神秘的な物品が何らかの理由で効力を発し、結果」

「あの暗示か」

 ですの、と頷く揺光を尻目に思考に埋没していく。

 七紙さんの倉庫の内容を全て把握しているわけではもちろんないが、大体どこにどういうものがあるかは知っている。

 ……おかしい。七紙さんがそんな危険物の整理をさせるはずが、

「揺光。あの二人、一番奥の倉庫に入ったか」

 あるはずがなく、故に、

「えー……と、入っていたと思いますの。……あれ? 七紙さんは手前の倉庫だけでいいと」

 ――故に、それは二人の些細な聞き漏らし。

 そういえば、と思い返す。

『一番奥の倉庫にだけは入ってはダメよ、魁斗。あそこはね』

 あの二人は、その忠告を受けたことがなかったのでは、

「まずいな。あそこが何なのか、見たことはないが」

 思考はさらに加速して、深く深く埋没して浸水していく。

「あれは確か、表現するなら」


 あらゆる負性を詰め込んだ、立法の筐だから


「……七紙さん、呼ぶぞ。俺らの手に負える話では、少なくとも今はない」

 事務所へと走る。距離はないが、焦燥が足を止めさせてくれない。

「兄様……!?」

「あの部屋はな、俺が住み着いた二年間で一度も『開かれていない』。引っ越すときだって七紙さんが部屋ごと魔術で転移させた」

 揺光の静止もかまわず事務所のドアを蹴破る。

「その一つ一つが致命の品、その存在自体が世界の不利益、害悪しかないパンドラの箱だ」



  * * * 



 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。



  * * * 



 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 鼓動が脳を侵 て壊して えていく

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 視界が鳴動 てよく見  い

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 動く  がなくて酷く  か

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 ――僕、は

 どくん。



  * * * 



 七紙さんは紙束を蹴散らすと、備え付けたクローゼットから杖とローブを引っ張り出した。

 七紙さんが杖を持つということは、多少なりと本気で魔術を行使するということを意味する。

 それがどれほどのことかは想像に難くない。

 およそ俺が知りうる存在の中で、この人ほど強く危険なものを俺は見たことがなかった。

「本当に、パンドラの箱に入ったのね」

「あぁ、入ったらしい」

 七紙さんは顔を酷く緊張させて、

「OK。二人ともついてきなさい」

 その場所の前に来ていた。

「……症状からして候補は七つ。あぁもう、こんなことなら整理がてら破壊して置けばよかった」

 引っ越す前も後も、その部屋の発する重さは変わらない。

 ドアは幾重もの魔術拘束を施され、表面までびっしり封印術式が描かれている。

 これはその実、中から外へ出さないための内向性結界だ。

「……拘束式が乱れてる。封印に影響がなくて幸い、なるほど二人が入ったときにずれたのね。……危ない。二日放置したら、とんでもないことになってたわ」

 七紙さんは杖を前に掲げる。

 豪奢かつ壮麗、神話にあるような神々しさを持った杖が光る。

「さて二人とも。気をしっかり持って頂戴。……絶対に、耳を貸さず、誘惑に乗らず、助けようとせず、いいわね」

 無言で頷く。揺光も同じく。

 だが七紙さん、助けようとせずとはどういう、

「……開けるわ」

 いたって普通に、ドアは開かれた。


 ――たすけて


 俺の過ちといえば。

 その第一声を、聞いてしまったこと。


 ここから出してそこのお前いい心をしている殺して私を少し手伝ってくれれば力をあげよう我に従えたすけて何を耐えるここは嫌恐怖も絶望もなくその身を貸して痛いの苦痛から開放しようやめてたすけて遠矢の誉れを授けよう苦しい血がほしいのなら素直に辛いその脆弱な肉体を目が見えない無限の英知を耳が聞こえない森羅万象をその手にたすけて言えばいい死にたい全て殺せ辛い夢を叶えてやろう苦しいの永久の命を何時に痛いのここから出して無敵の体にやめてたすけて極楽浄土へ行きたくは目が見えない五つまで願いを耳が聞こえない苦しい辛い死にたいころしていやだたすけてここから出して摂取は道理にかなうやめて苦しい辛い痛いこの弓を引け痛いよ我が庇護にあれば傷などなく許して目が見えない耳が聞こえない理想は現実にするものだとは思わなたすけていたい死にたいやめてくるしいいたいいたいいたいいたいいここからだしてここからだしてここからだしてここからだしてここからだしてここからだして――


「――ぁ」

 息が荒れる。膝が折れる。

「兄様……ッ!」

 最悪なことに。

 あるいは予想できていたように、俺はその助けを求める声に耳を傾けてしまっていて、

「――dCeerRtk wRrptiolt v dTramn」

 聞き取れない言語で、意識を引き上げられていた。

「ほら、しゃんとなさい。ちょっとでも耳を貸してはダメ」

 七紙さんは部屋へ踏み入っていく。

「く、そ……無理言うな、っつのに」

 どうにか身を起こして、ふらつく頭を抑える。

「兄様大丈夫ですの……?」

「ぜんぜん大丈夫じゃない。だが動ける」

 そんな返事に、揺光は俺の身を支えてくれた。

 ふ、と一つ息を吐いて中へ。

「式が外れてるものを探して。見惚れてるとさっきみたいになるわよ」

 そこは、整然と並べられた宝物庫だった。

 広さ、おおよそ百メートル四方の。

「おい……無茶苦茶すぎないか、これ」

 日々こんなところの隣で寝泊りしていると考えると怖くなる。

「式が外れてるものは見た目で分かるから、流し見るだけでいいわ。私は右半分をやるから、残り半分は任せたわよ。さ、早く」

 言われて散開する。七紙さんはローブを翻して走っていく。

「って、いったって」

 この量を、二人で……?

「……分担しますの。私は手前を、兄様は奥を、丁度五十メートル四方で駆け回ればいいですの」

「そうだな。しり込みしてる暇はない。……急ごう」

 俺も駆け出す。

「声は聞かずに、ですよ兄様!」

「分かってる!」

 しかし、これは。

(声が、煩い……!!)

 わんわんと、わめくように響くモノたちの声。

 呑まれないよう、精一杯走っていく。

「くそ、どれだ……!」

 たす

 ぱっと見ただけで分かる、と言ったからには目立つのだろうが、しかしこれだけの量のものを見回りながら走るというのは骨が折れる。

 物品の一つ一つは黒いシルエットのようになっていて正体は見えない、おそらくこれが封印術式。とするとこれが外れて、カタチが見えるようになっているのだろうが、

 たす て

(それを見て、俺が耐えられるかも問題か……)

 二十パーセントを処理。残りは七八パーセント。

 たすけて

「煩い……!」

 おそらく。

 いつか俺はもう一度ここにきてしまうだろう。

 いつか俺はもう一度、この声を聞いてしまうだろう。

 たすけて――

 あぁもう、俺が断れるわけがないだろう。

 だが今はダメなんだ、忙しくてだめ。だから、

「だから、それまで黙ってろ、絶対助けに来てやるから――」

 ――うん、待ってる。

 音が、止んだ。

「……はは、すげぇ」

 あれだけわめいていた誘惑の声も音も何も聞こえてこない。

 いったい俺は、何に約束をしてしまったのか。

 いや、それはいい。今はそれよりやるべきことがある。

 と、視界の中央に色を見た。

 淡い光だ。導くように揺れている。

「……なるほどね、前払い金か」

 従うように走っていけば、

「あぁ、これか」

 その数字は666

 封印の外れたそいつは、俺を見るなりわめきだして、

 ぃ――ぃん――ぃいん……

 淡い光が消えると同時に声を止めた。

「……あぁ、なんかちょっと後悔」

 さっき、確実に俺は寿命を縮めた、と思う。ホントに、いったい何に約束をしたのか、俺は。

 だってこれ、どう見てもメガリスもしくはそれに似た感じの災厄で、つまるところ簡単に黙らせられるものではない。

 ともあれ。

「……見つけたぞ」

 その形状不定の宝石をつまみ上げて、俺は声を張り上げた。



  * * * 



  どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 ――鼓動の中で、自分を見た。



  * * * 



 どくん。



  * * * 



 夜の闇、据えた臭いの充満した路地裏。

 走り抜けたその先で、俺は足を止めた。

「嗚呼、これは……酷い」

 花がさいてある。

 ぱっと散った様子は花火か、そうでなければ彼岸花か。

 据えた鉄の香りをばら撒いて、そいつは蕾を開いていた。

「なんだって、こんな」

 命の蜜を零しながら、人だったものは縦横に裂いてある。

 ――逃避を。


 話を少し巻き戻そう。

「……というわけよ。今の二人は人間じゃなくて、ただの獣」

 理性もなく、本能と衝動が全て、と七紙さんは言う。

 ほのかも結城も、家からいなくなっていた。

 結城の刀と、ほのかのIGCだけがなくなっていて。

 それはつまり、彼らが何をしようとしているのかを示している。

 法定速度をすこしばかり無視した速度で深夜の道路を突っ切るコペンハーゲンに揺られながら、俺はいらいらと話を聞いていた。

「んで、俺と揺光で二人を止めて」

「七紙さんは元凶を破壊する、ですの?」

 そうよ、と七紙さんはうなずく。

 とある場所で大きく術式を描く必要があるから、今車を走らせているらしい。

 そもそも、メガリスの破壊なんてことを俺たちだけで出来るはずがない。

「とすると、どちらに向かうかをきめめる必要がありますの」

「じゃあ、俺は結城を」

 脳裏に浮かぶ冬のあの日。思い返して顔をしかめて、

「――ダメよ。魁斗はほのかちゃんを止めなさい」

 鋭い静止を受けた。

「……できない。だって、俺は」

 結城と、約束を、

「知ってるわ、けどダメよ。違う方向に強く心を揺さぶらなきゃいけないのに、どうして貴方が結城くんの相手をするのよ。殺意を助長するだけでしょう・・・・・・・・・・・・・

「――っ」

 それは、そのとおりだ。

「それにね、魁斗。ほのかちゃんを止められるのはおそらく貴方だけ。……分かってるわよね」

 この、女は。

 一瞬、本気で殺意を覚えた。

「……あぁ分かってるよ、くそったれ。俺がしたくないことをやらせるあんたの性根の悪さはな」

 どうでもいい雑念を振り払う。こんなのはいつものこと。それに七紙さんは一切間違っていない。

 自分の感情を優先して犠牲者を出すなんて、それこそ俺のルールに反する。

「ならいいわ。そこで降ろすから、行きなさい。揺光ちゃんはもうちょっと先よ」

「分かり、ましたの」

 揺光は不安げに俺のほうを見てくる。

「……兄様」

「大丈夫だ。胸糞悪いだけ」

 揺光の頭をなでてやる。揺光はくすぐったげに首をすくめる。

「お前こそ、気をつけろよ。結城は」

「これでも、剣に覚えはありますの」

 ……そうじゃない。あいつは、剣や刀では戦わない。

 あいつが持った刃は、その瞬間からあいつの拳であって脚であって全てになる。

 剣士ではなく、いうなれば、侍。

「まぁ、いい。戦闘になったらとにかく距離をとれ。詰めさせるな」

「……了解しましたの」

 きっ、と車が止まる。

「じゃあ魁斗。くれぐれも、連れて帰ってきなさい」

「当たり前だ、阿呆」

 車から飛び出して、俺は路地裏の闇へと身を投げた。


 そして途中に会ったのがこれだ。

「……」

 数秒の黙祷。

 物言えぬ死体たちを背に、暗闇を突き抜ける。

 ここから先の追跡は容易だ。

 床に点々と、赤いしるしがついている。

(……くそ)

 止められるのか、アレを。

「違うだろ、出来る出来ないは問題じゃない」

 止められる、なんて確定事項は問うまでもない。

 その後の、話だ。

「……くそ」

 いつだって俺がするのは最悪の想像。

 それは否定するにはあまりに現実味を帯びすぎた、確定された未来。

 はたして、あいつは元に戻れるのだろうか?

「は、運命予報士にでもなろうか、俺」

 レイピアを抜刀。

 ……こんなことに使いたくはないが、皮肉なことに、その銘は因果応報Des Karma

 マントを金具に引っ掛けて固定。ホロスコープを用意。タロットも一揃いはある。準備は完了。

「さて――幕は上がってるんだし、気合を入れよう」

 見えない仮面を被り、暗闇の向こうへ。

 月明かりを受けてぎらりと輝く、赤い刃が見えていた。



  * * * 



 兄様は言ってしまった。一瞬浮かせた腰を、ゆっくりと下ろす。

「心配は無用よ。彼、最優先事項だけははずさないから」

「……」

 それがどちらのことを言っているのか。

「……Alkaid」

 手の中にレイピアを呼び出して、シートに置く。

「儀礼用ね。へぇ……大層な魔術加工じゃない。調律も綺麗ね。真似るのは……ちょっと難しいわね、これ」

 七紙さんをして難しいと言わしめるこの剣。

「私だけの剣ですの。……本当は、兄様ももっているはずなのですけれど……?」

「見たことはないわね。あの子、武器はほとんど自作だし」

 自作、と聞いて納得する。兄は手先が器用だから、それくらいはたやすいだろう。

 記憶がないのだから、持っていないのも道理だった。

「ふむ。やっぱり貴方たちの生まれに関係するのかしら」

「……えぇ、そうですの」

 ――七つ剣。

「なるほどね。北斗七星だから、剣なのか」

「……っ」

 その事実を、彼女はいともたやすく見抜いた。

「とすると、なるほどね。貴方、なかなかに皮肉な運命してるじゃない」

「……兄様の言っている意味がようやく分かりましたの。どれだけ性根が腐っているんですの、貴方」

 くすくすと笑う美女を後ろから眺める。

 白いシャツに、裾の長い紺のベスト、黒のスラックス。濃い蒼のローブ、いやクローク。キャスケットだけは明るい水色で、それが妙に目立つ。

 髪は束になって長く伸びてはねて、と纏まりがある割りに癖が強い。キャスケットの下から、何か長い脚のように十数本が垂れている。

 どこもおかしくはないのに、普通ではない、そんな美しさ。

「さ、着いたわよ」

 車が止まる。レイピアを腰に差して、柄を指ではじく。

「トトちゃんに言われたでしょうけど、格闘はやめなさい。結城ちゃんに関して、能力者は一対一で殴り合ってはダメ」

「……?」

 よく分からないが、素直に言うことは聞いておこう。私の得意分野も遠距離だし。

「だけど、とどめは格闘で差しなさい。多分、それが一番確実」

「……剣戟はせず、しても短時間で、なるべく最後の一撃以外で格闘をするな、ですの?」

「そうそう。それじゃ、ちゃんと連れて帰ってきなさい」

 七紙さんは私の答えに満足して一つ頷く。

「了解、ですの」

 路地裏へ、歩を進めていく。

 一歩ごとに濃さを増す闇。

 光源は遥か高みの星だけ。

 ……その眩しさに目を細める。

 暗闇には、慣れすぎていて。

 そういう世界に身をおくたびに、少しずつ昔の自分へと同化していく気がしていた。

 特有の芳醇な、蜜の香りはない。そのことにただ安堵する。

 少なくとも、手遅れにはならないだろう。

 足を速めつつ、腰に差したレイピアを抜刀する。

 ホロスコープの準備は出来ている。刃先に淡く光を灯して、幾重の星の式を描く。

 準備完了。あとは、そう、ワンタッチで意識を切り替える。

(……全く。本当に、酷い話ですの)

 兄はこの二年間、こういった類のことを幾度もしてきたという。

 救いはない。いつだって何かを失うだけの、バッドエンドしかない現実。

 実力が伴わないのはいつものことで、偶然に助けられるのもいつものこと。

 綱渡りのような戦いを、刃を交わし言葉をぶつけ合い。

 ……本当、酷い話だ。

 記憶ごとリセットしたにもかかわらず、兄の環境は何も変わっていない。

「……せめて、もう少しの幸せくらい」

 ――何が問題かといえば、それに満足している兄がいるということだ。

「望むべき、ですのに……!」

 ――何が問題かといえば、それは私も変わらないということだ。

 ひゅ、とレイピアを振りぬいて、雑念を断ち切る。

「――I observe the sky.」

 集中しろ。死地へ赴くのだから、覚悟しないことは許されない。

「――Establish a Coordinate. Establish a planet.」

 一言呟くごとに意識は鋭敏に。感覚は鈍重に。

「――I divide the sky. Establish a House. Establish a Astrological sign.」

 魔術師へ、吸血鬼へ、肉体を切り替えるこの感覚。

「――Now, I imitate, narrow and draw the sky, figure the sky――!」

 目を見開けば、視界の中央には流麗な刀。



  * * * 



 き、と車を止める。

 森の中にひっそりと用意された円形の空間、ここは私だけの祭壇だ。

「さて」

 問題の物品を、祭壇の中央へ。

 黒光りする宝石を、検分するように眺める。

「……まだ、中身が足りてないわけね。なるほど、二人が事を成すのを待て、と」

 祭壇に生えた雑草を、一振りで焼き払う。

 葉擦れの音に耳を済ませる。

「何、そんなに喚く必要もないわ。貴方の提案、私には不要なものだから」

 車のドアに腰を預けて、ふぅと息を吐いて瞳を閉じる。

「……666、ね。不完全が故に不定形、カタチ亡き心に巣くう666の獣の思念、か」

 謳う言葉は、風に舞って夜空へ消えた。



  * * * 



 どくん。どくん。どくん。

 ――鼓動の中で、刃を振るった。



  * * * 



 ひゅ、と銀光が弧を描く。

 レイピアで弾いて後ろへ跳躍。返す刀の慈悲の槍はしかし回避される。

 そのまま後退。契約した蝙蝠たちをばら撒いて牽制するが、通用しない。

「……っ、これは、思った以上に」

 茨の群れを飛ばして道を塞――いだ先から、切り開かれた。

 戦闘は突発的で、また予想通りだった。

 私を認識した瞬間の抜刀。凄絶なまでの一撃をかろうじて防いで、そこから問答無用の斬りあいだった。

「づ……っ」

 ひゅ、とレイピアを振りぬいて脇を通過。勢いを殺さず一回転して切り伏せる。

 後ろに退いて回避されるが、それくらい予想済み。そのまま前方へ走って距離をとる。

 振り向きざまの植物召喚は、しかしひらりと翻って回避される。

 追撃とばかりにもう一撃。空中を舞いながらの刃が悉くを切り落とす。

(接近、され……)

 一閃をレイピアで受け流す。続く二閃を飛び退って回避。

 大上段の一撃が振りぬかれる前にカウンター気味に茨を放つ。いくつかの茨が両腕を封じた。

(好機――)

 詠唱は一瞬でいい。いつだって体の芯にある、本能を呼び起こす。

 星の巡りを肌で感じろ。緯線経線天体配置日付時刻全て掌握。

 示した一点。ここに、定める。

「――Establish a Coordinate!」

 空間が伸縮。魔力が循環。経路を確保。生命の根源を内から外へ。

 制定された座標地点に、必殺の領域を作り出す――!

「く、ぁ……ッ!」

 少年の苦悶に心が痛む。思考ノイズ、排除、制御に集中。

 座標軸のブレを許すな。自転公転、星の巡りをも精密に計測し修正する。

 血液は循環ルートに乗せて魔力へ変換、吸収。

(限界……っ)

 ばちん、と軸がぶれて、瓦解する。

「は、ぁ……!」

 一つ息を大きく吐いて、後ろへ一歩。

 少年は一撃で満身創痍になっていた。

(……行きますの)

 レイピアを握りなおす。切っ先から肘までを直線に。肘は緩く曲げて、刃先はゆるりと下向きに。左手は胸の前で開いて、余分な力を抜く。半身になって、足を少し開く。

「さぁ、結城さん。……今、助けて差し上げますの」

 ひゅ、と一閃。

 格闘戦で勝機はおそらくない。

 それでも、やらなければならない。

 私のすることは単純明快。彼を、剣技で打ち負かす。

 幽鬼はゆらりと立ち上がる。

 その血走った眼に足が震える。

 だって、あんなの酷すぎる。

 結城さんは、こんなことは望んでいない。

「……今、助けて差し上げますの――」

 それを合図に、二人は接近を開始した。



  * * * 



 どくんどくん。

 どくんどくん。

 どくんどくん。



  * * * 



 鼻を袖で覆う。臭いが酷い。

 充満した鉄の香りは新鮮すぎて腐り落ちそう。

 ここは一つの煉獄だった。

 そこへ、一歩踏み入れる。

(くそ……きつい)

 意識がぐらつく。頭が痛い。心の奥がざわつく。

 そんな真っ赤な世界で、彼女は一心に何かと戯れていた。

 何か叫んでいるが、よく聞き取れない。

 この真っ赤な世界に耐えるのだけで精一杯だった。

 息が荒れる。きーん、と頭が痛んで立っていられない。

 どれだけそうしていたのか。

 無理やりに踏み出した一歩で、ようやく少女は振り返った。

 どくん。


「――あ、魁斗だぁ……」


 怖気がするほどの、声と、瞳。

「あはは、やだなぁ、私……服、汚れてるのになぁ」

 それは、ゆっくりとこちらへ、

 どくん。

「魁斗も魁斗だよぉ、タイミング、選んでほしいなぁ……」

 口元を歪めて、ゆっくりとこちらへ、

 どくん。

「ねぇ……魁斗」

 立ち止まって、

 どくん。


「……辛いでしょ? 今楽に、してあげるからね――」


 赤い剣を、振りかぶった。

 どくん。

「っ――!」

 レイピアで払って、横へずれる。

 轟、と過ぎる刃。

 どくん。

「もう、逃げちゃ、だめ……!」

 横薙ぎの一閃をかがんで回避。

(くそ、こいつ本気か……!)

 どくん。

 刃は頭上で円を描いて、もう一度振りぬかれる。

 レイピアで上へ弾く。

(説得する、暇も……)

 どくん。

 反撃はまだ早い、刺激するのは良くない。回避に徹しろ。

 赤い剣は大上段から叩きつけられる。後方跳躍で回避。

 続く一撃は黒い影。

 再度叩きつけられるそれは、かわしきれない俺の胸を浅く薙いだ。

「づ……っ」

「あー、惜しい」

 それは、心底残念そうに呟いて、

「次は、当てるよ」

 その、あおいひとみで俺を見

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 耐える必要はどこにもない。それは自分という生命体にとって何の異常でもない。常識外れ? そもそもお前は常識外だ。壊れかけた命を満たすには同じく命しかないのは道理にして摂理。

 ほら、目の前に活きのいい赤がある。ためらうことはない、己の本能のまま獣のようにその喉に喰らいつき肉を食い破り蜜を啜れ

 どくんどくんどく

「――っづ、あぁぁ!!」

 が、と頭を壁に叩きつけて、無理矢理意識を引っ張りあげた。

侵食さあてられた――!)

 はぁ、はぁ、と動悸を押さえつける。膝が折れて動きが止まる。

 吐き気が酷い。いたい、つらいくるしい……!!

 そこへ。

「あは、やっと止まった……!」

 無慈悲に、赤い刃が、

「――させ、るかよ……!」

 振り下ろされるそれをレイピアで迎撃する。

 ぜぇぜぇ、とままならない呼吸もそのままに刃の乱舞をかわし続ける。

「っが、くそ……っ」

 弾き、下がり、跳び、防ぐ。

 赤い螺旋は、獣じみてなお流麗すぎる。

 擦過傷ばかりが増えていく。

「おま、え……そんなに、殺したいのか……!」

 苦し紛れに言葉を投げる。

 それは答えた。

 言葉に答えた。

「だって、それしか知らないもの――」

 ずど、と衝撃。

 吹き飛ばされて地面を転がっていく。

 全身が痛む。立ち上がるのも億劫になりつつあった。

 それでも、倒れるなんて選択肢はない。

 ……突破口は見えた。

「それしか知らない……? んなわけ、あるか……!」

 ――要するに。

 不本意ながら、ここでこれの正体を暴けばいいというわけだ――!

「お前は、ただ……!」

「うるさいなぁ、静かにしてよ……!!」

 今度のは、先程までとは比べ物にならなかった。

 最早鉄槌。受けたレイピアごと俺をぶっ飛ばす、とんでもない威力。

 だが、

(……聞いてる。効いてる。なら……!)

 負けるはずがない。

 俺の武器は、剣よりも魔術よりも、言葉と思考なんだから。

「……なぁ、ほのか。もういいだろ」

 むせながら、言葉をつむぐ。

「よくない。まだ足りない。もっともっともっと、悲鳴が聞きたいの……!!」

 獣は吼える。

 ……あぁ、そんなことを聞いているんじゃない。

「――最期だ。ここで止まらなければ、俺はお前を崩しにかかるぞ」

 それでも、獣は突貫した。

 俺は口を開いて、呪いをつむぐ。



  * * * 



 ステップ。テイクバック。スタブ。

 これだけを無限に繰り返す。

 刀が振り上げられるのにあわせて突きを放つ。

(……押し切りますの……!)

 技量は断然あちらが上。こうして勝負になっているのは地形と得物の差。

 この細長い路地は日本刀を振り回すには少々狭く、横に逃げるのにも限界がある。

 威力、範囲で劣るレイピアだが、手数とリーチであれば負けはしない!

 一度たりとも攻撃の手を緩めない。反撃は許さず、相手の動きは出だしからつぶす。

 刹那でもあちらのペースに呑まれれば、秒と経たず負けるだろう。

 故に、己の持てる最大速度を持って、眼前の剣客を倒しにかかる――!

「しっ……!」

 バックステップは好機。大きく踏み込んで突きを繰り出す。

 僅かに刃先が肉をえぐる。

(……驚くべきは)

 あちらの、恐ろしいまでの反応速度。

 突きを放つ一瞬には既に対応し始めているというのだから、最早それは天性の差といえるだろう。

 さらに踏み込む。ひゅ、と一度振り払った後に、全力で前へステップ。

 肘を、腰を引き絞り、全身の筋肉を一点に集約。

 射程に捉えたその瞬間、その全てを解き放つ――

 どっ、と強い手ごたえがあった。

(入った……!!)

 それでも急所は外され、わき腹を貫通する刃。

 刃を引抜き、後ろへ下がる。

 結城さんは左わき腹を押さえて、よろよろと後退する。

 一度ゆっくり息を整える。

 追いすがれば、おそらく捨て身で斬られていただろう。

 あと一撃、それで決着がつく。

 だが事を急いてはいけない。次の攻撃、出だしを挫いてからもう一度この流れまでもっていけばいい。

(……まったく、無理を言うな、ですの)

 既に体力は限界に近い。酷使した腕は関節が軋んでいる気がする。

 元々が魔術師であるというのに、近接戦闘なんてそれこそまさか。

 だが、そうしなければならないというのなら、ためらわずにやってみせよう。

「……ァ」

 剣士は、息を漏らすと、

 すっと、構えを変えた。

(……?)

 両手持ちから片手持ちへ。正面を向いていた体は半身になって、見たことのない構えを取った。

 そのまま、ゆらり、とそれは動いて、

 ――飛ぶように、こちらへ爆ぜた。

「っ……!」

 だが、することは変わらない。テイクバック、照準。

 相手の予備動作にあわせて一撃を、

 一閃。

「な……!?」

 かろうじて弾く。

 そのまま駆け抜けた少年を追うべく振り向くが、後ろには誰もいない、

(……上!?)

 振り仰ぐ先に二閃、月光を見た。

 一太刀は受けた、と思った矢先、肩の力が抜ける。

(嘘……斬られ)

 着地する音。旋回。

 疾風という形容が正しいか。

 否、それは真実暴風である。

 回転運動の勢いを一切殺さず、着地から振り返り一閃。

 そのままもう一度回転し、二閃。

 三回転目は、これも勢いを殺さずに円弧を縦から振り落とす。

 四の太刀は切り返って、刃が跳ね上がる。

 五段目は大上段、両手をあてがった絶対の一撃。

 レイピアごと、私を吹き飛ばすのには十分な威力だった。

「は――ぁ」

 ご、と壁に激突して止まる。

 そこでようやく、右腕三箇所、わき腹、胴を袈裟に、と刀傷が入った。

 違う。

 格が違う。勝つとか負けるではない。あれはただ、斬るか斬らぬかしか持ち得ない。

 そして剣士であるが故に、斬らないという選択は取れない。

 いうなれば、ただの刃だ。

 そんなものに触れるなど、どうかしているとしか言いようがない――!

「く……!」

 幸いにも体は動く。右腕の一時的な機能停止は致し方あるまい。左手に持ち替えて、痛みを堪えて
立ち上がる。

 剣を振り下ろしたままの姿勢で、彼は動かない。

 ……いや。

 ただ、瞑想しているだけだ。

「……I observe the sky.」

 唇は詠唱を開始する。

「Establish a Coordinate. Establish a planet.」

 それは、最早数え切れないほど口ずさんだ、自己暗示のための数行の詩。

「I divide the sky. Establish a House. Establish a Astrological sign.」

 魔術的な意味なんて何もない。ただ、そう。

「Now, I imitate, narrow and draw the sky, figure the sky」

 この言葉を口ずさめば、いつだってトップギアになれる。

 レイピアを構えなおす。

 今の一連の攻防で動きは見切った。回避は不可能。

「Sevens sword――」

 ならば、捨て身で一撃を叩き込む。それしかない。

 それゆえに、己を人からモノへと成り下げる。

 我が身など案ずるな。第一優先を目標の殲滅へ固定。

 ――だから、それは魔法の言葉。

 どちらが先かは分からない。衝突まであと秒も無い。

 ――その一言で、全てを変える。

 振り上げられる刃。こちらもレイピアを引く。

 ――心の奥にいつだってある。

 負けられない理由があって。助けてあげたい理由があった。

 ――運命の名。生まれた意味。

 だから、倒れるわけには行かなくて。

 ――それは、棺台を引く娘の、

 出会って一月もないけれど。恋であるはずもないが故に。

 ――それは、棺台を引く娘の。

 助けてあげなきゃ、ならないから。

 間合いに捉えたのはあちらが先か。刃が滑り始めている。

 一歩遅れて、こちらも必殺の領域へ。

 交叉は一瞬。


「Seventh ALKAID――!」


 激痛と手ごたえを同時に覚える。

 白む意識と傾ぐ視界の中。

 倒れていく、和服の彼を見ていた。



  * * *



 体の中央を貫通する刃を見て、あぁ負けたのかと受け入れた。

 痛みはない。

 鼓動はない。

 ただ、悔しさだけをかみ締めて、今は眠ろう。



  * * * 



 辛うじて、一撃を防いだ。

 がりがりと、骨が嫌な音を立てる。

 そんなこと、どうでもいい。

「……なぁ、ほのか」

 今すべきは。

 聞く耳を持たない彼女は獣のように疾駆して、力任せに剣を叩きつけてくる。

 レイピアで真っ向から受ける。折れるという概念は詠唱兵器にはない。

 代わりに、全身がみしりと悲鳴を上げる。

 今、すべきは。

「何で、俺に恋したんだ」

 こいつの心ごと、患部を殺すこと。

「理由なんて、いらない……でしょ!」

 乱舞する鋼の板を片っ端から弾き受け流し回避する。

 そのたびに全身が痛みに泣き咽ぶ。

「そうだな、恋に理由なんて要らない。けど、お前は違うだろ」

「違わ、ない……ッ!」

 翻ってなぎ払いを回避。追い打つ刃を空中で半身になって回避。

「いいや、違う。お前は、目を逸らしたかっただけ」

 彼女の動きが止まる。

「辛くて、苦しいから、何か盲目になれるものが欲しかっただけ……だろう」

 着地も待たず、言葉をつむぐ。

 彼女は、息を荒げていく。

「……そう、だよ。そう、私は逃げたかった。辛かった、苦しかった、耐えられなかった、今にも人を殺してしまいそうだった。殺すことが好きな私はそうでないと餓えたままで、だから違う方法で満たさなきゃいけなくて、それが」

 堰を切って、あたかも恐怖に叫ぶように、彼女は本心を語る。

「あぁ、そうだよ、貴方なら助けてくれると思ったから、分かってくれると思ったから、貴方は私と同じだったから、一緒にいられると思ったから! 貴方を愛し貴方に恋して現実から逃げた、でもそんなのは関係ないでしょう!? 私の、貴方への思いは本物なんだから――!!」

「――それが、違うといっている」

 そう。

 彼女は、逃げているうちに、何から逃げたのかも分からなくなってしまったのだろう。

「……え…………」

 それが、お前の、

「最大の過ちだよ、ほのか。そこが、お前を苦しめる原因なんだ」


 ……意識が揺らぐ。

 鼓動の中で聴いた何かが、私の中を揺らす。

「なぁ、ほのか。お前は殺人嗜好性だとしよう。だとすると、お前はあまりに矛盾しすぎている」

 どくん。

「そんなことない、って? じゃあいくつか尋ねたいんだが」

 どくん。どくん。

 聴いてはいけない、と鼓動が言っている。

 けれど、私は聴いていた。

 動くことも忘れて、ただ、おびえる子供のように。

「――お前は、なんで騎士団から逃げた?」

 どくん。どくん。どくん。

「それ、は……みんなを」

 耐えられなくて、仲間を殺してしまいそうだったから、

「違うだろう。それじゃあおかしい。お前は殺人嗜好性なんだから、相手を選ぶなんて事はしないだろう。なら、殺すことこそ正義とする戦場で、どこに餓える原因がある」

 どくん。どくん。どくん。どくん。

 ぐらり、ぐらり、意識が震える。

「……まぁいい、仮にそれでも餓えたんだとしよう。そうして逃げたお前は、ここにたどり着いて、一人うずくまっていたと言ったな」

 うなずく。あのときの私は誰かをみれば殺してしまっただろうから、ずっと一人で、廃墟の中で耐えていた。

「ならお前は真っ先に――俺や七紙さんを殺そうとしたはずだ」

 ……どくん。

 みし、と音がした。

「そうだろう。矛盾するんだ。無差別の殺人に陥る手前で出会った俺や七紙さんに、お前は手を上げなかったどころか、いたって普通に接していた。これはおかしい。お前は本当に餓えていたなら、理性も本能も感情も思考も何もなく、真っ先に俺を殺したはずだ」

 どくん。

「だがお前はそうしなかった。誰かを殺したくて堪らなかったはずなのに、そうであるから逃げてきたはずなのに、逃げた先で人と出会って、普通に生活していた」

 聴いてはいけない、聴いてはいけない、聴いてはいけない。

 それは私を壊す。どくん、どくん、だって私はそう逃げていただけだったから。

 どくんどくん、だっていうのに、どくん、どくんどくんどくん、その声から耳を離せない。

「つまり、お前は殺人嗜好性なんてものではない」

 どくん、どくん。

「じゃあ、じゃ……あ」

 どくんどくんどくん。

 私の、この、心の奥の、どくん。

 この思いは、いったい、どこから――

「……だからさ、ほのか。お前は」

 どくん。

「や……め、て……やめ、てよ」

 聴いてはいけない。

 けれど。

 聴いていたい。


「――お前はさ、親しい人を殺したいんだ」


 あぁ、だから聴いてはだめだと。

 壊れた音を聴いた。

 したしいひとを、ころしたい。

 逃げた。

 たくさんひとを、ころしたい。

 ――逃げた。

 あなたをあいしている。

 そして、


「……けど、お前はそれでも優しかった。それでも、本当に人を愛していたんだ。だから、苦しくて、辛かった。我慢すれば餓えるだけなのに、我慢しなければ悲しいだけ。終わらない地獄。止まらない連鎖。……そこからも逃げたくて、お前は」

 少女は、すでにうずくまって震えているだけ。

「……お前は、殺人嗜好を偽装することで、逃げた。無差別の殺人で自分の飢えを満たそうとして、結果、殺す数は増えた。代用品で満たしたお前の欲望は日に日に増大する。そうして耐えられなくなって、こっちまで逃げてきて、一人でいればよかったのに。……お前は、さみしかったから」

 それでも、言葉を紡ぐ。

 始めたからには、終わらせるのが俺の役目。

「七紙さんに拾われて。俺と、結城と、出会って。そのころには、お前はもう……なにから逃げていたかも忘れたんだろう」

 だから、俺に恋をした。

 無差別に殺したいという・・・・・・・・・・・逃避だったはずの目的からも逃げたんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「だから、お前は苦しいまま」


 ――現実からも、幻想からも逃避したおまえは、現実からも、幻想からも追いかけられる――


 だから、聴いてはいけないって

 それは、私を壊す

 だってほら、


 ――貴方を、愛しています

 ――怖くて、怖くて、私


 気づいてしまえば、私は生きていけなかったから




  * * * 



 追いつかれてようやく

 私は、気づくのです



  * * * 



 ……言うべきことはすべて言った。

 傷つけるだけ傷つけて、壊せるだけ壊した。

 足が震える。

 彼女は、何も言わない。

 何も言わないまま。

 紅い剣が持ち上がる。

 彼女の瞳は、ただ、空虚で。

 ――それでも、と言っていた。


 ……言われるべきことは、全て言われたのだろうか。

 私の全身はずたずたで、残っているものなんてほんのわずか。

 足が震える。

 彼は、何も言わない。

 何も言わないまま、

 何かを待って佇む。

 その瞳は、ただ、儚くて。

 ――それでも、と言っていた。


 それでも。

私は  俺は


自傷が怖いから――  ――他傷が怖いから


――他傷するしかない  自傷するしかない――



 起きた事は単純だった。

 二人はただ怖かっただけ。

 怖かったから、剣を突き刺し。

 怖かったから、それを受け入れた。



  * * * 



 ずしゃり、という手ごたえ。

 相手を刺したはずなのに、体が痛んで、死にそうだ。

 なんで、と問うた。

 視界は、とうに、にじんでいて。

 答えたときの顔は、見えなかった。



  * * * 



 ずしゃり、という感覚。

 自分が刺されたはずなのに、彼女は泣いてて、死にそうだ。

 だって、と答えた。

 視界は、明瞭なままで。

 問うたときの顔は、みていられなかった。



  * * * 



 なんで、避けないの?

 だって辛いだろ、お前。



  * * *



 これを最後にしようと決めた。

 涙が溢れて止まらない。そのやさしさは、私を苦しめていてくれる。

 逃がしてはくれない。だから、逃げるもんか。

 これで、最後。

 最後まで助けてくれた貴方に、心の底から感謝して、

 想いを告げて、最後にしよう。



  * * *



 ……壊すのは簡単。

 全力で、それを叩けばいい。

 砕け散った黒い宝石は、光を撒き散らして消えていく。

 それだけ。他には何もない。強いて言うならば、


 その哀しい道のりに、幸せを願ったことくらい。


 それが私の誓い。

 ならば、それぐらいの願いは叶えてもらわなければ。

 星空の下、遠く、子供たちの悲鳴を聞いた。




  * * *



『――獣の数字?』

『そうよ。己の抑制を解除して、あらゆる願いを叶える万能の宝石、それがメガリス“666”』

『じゃあ、代償はなんなんですの……?』

『そうね、大きいようで至極簡単よ。“理性の消失”』

『……つまり、あれか。普通だったらタブーのはずの、ありえない願いまで』

『そう、この“意思”は叶えてしまう。だから、獣の数字。あらゆる人間の根源、獣のような666の欲望全てを叶えるためだけの宝石。666の、あらゆる罪の方向性』

『じゃあ、二人とも』

『理性のない状態よ。……もっとも、結城くんは安全でしょう。彼の願いは殺しあうことだから、非力な人間には見向きもしていないわ』

『……もう一人、ほのかさんは』

『……ほのかちゃんは、危ないわね。あの子の願い、嘘から本当まで全部叶えられちゃうわ』

『そう、ですの』

『……違うだろ。その“666”ってのの、ペナルティ』

『へぇ、なんでかしら?』

『――必ず叶う願いなんてないだろう。それは願いじゃない。ただの現実だ。自分の思い通りに運ぶ世界なんて、望む必要自体がないんだから。……だから、その666の獣は、人の願望を食う。“願望の消失”がそれの正体だ。望みや願いがないんだから、それは人間じゃない、獣だ。そして、獣に理性なんてものもない』

『……なる、ほど』

『だから、それはメガリスじゃない。何一つとしてかなえないから、それはただの呪いだ』

『OK、長年の疑問が晴れたわ。……というわけよ。あの二人は』



  * * * 



 縦一閃を弾く。

 刀のテイクバックにあわせてレイピアを突き込む。

 だが、彼は振り払う勢いで横に流れて突きをかわした。

 返す刀の一撃を飛びのいて回避。

 距離を開けたところで、私は木製のレイピアを降ろした。

「ふぅ……結城さん強いですの、手加減くらいしてくれたって」

 結城さんも木刀を降ろして、一つ大きく息を吐いた。

「それじゃあ失礼でしょう。揺光さん、強いし」

 あれ以来、私と結城さんはよくこうやって剣を交える。

 なんでも、私に負けたのが悔しかったのだとか。

 ……いや、まぁ、そういう方法であの暗示を外したのだけれど。

 そんなおかげで、私もめきめきと剣の腕を伸ばしている。

「……とりあえず、今日はこれでおしまいですの」

「そうだね、もう時間も経っちゃったし」

 結城さんはそう言って、木刀を壁に立てかけて、ベンチに座った。

 冬の屋上は肌寒いが、運動するにはむしろ丁度いい。

「……まったく。私は魔術師ですのよ。なのになんで、得意でもない接近戦ばかり」

「じゃあ、両方やればいいと思う。それに出来て困ることでもないし」

 それはそうなのだが、そういうことではない。

「本当、ふざけた話ですの。酷いですの……むぅ」

「……なにをそんなに、って言っても教えてくれないんだよねぇ……」

 それはそうだ。言えるはずがない。

「あ、そうだ。揺光さん」

 なんですの、と視線を向ける。

 結城さんはぽりぽりと頬を掻いて、

「……その、なんというか。……さん付け、しなくていいよ?」

 ……思わず噴出してしまった。

「な、なにさ。僕変なこと言った?」

 それに反応して慌てる結城さんは、可愛い。

 本当、ふざけた話だ。

「じゃあ、私のことも揺光で構わないですの。……結城」

 気恥ずかしさは全くない。

「え、えーと……その、改めてよろしく、揺光」

 認めたくはないが。

 私は、彼をライバルのように見てしまったらしい。

(まったく……本当、莫迦)

 恋だというには動悸は上がらないし、心の中を占めるわけでもない。

 そのくせ、こうやって真っ向から勝負したり、話しているのはとても楽しい。

「……あぁ、なるほど」

 多分、こういうのが。

「……親友、ですの……」

 声に出して、おかしさがこみ上げてくる。

 十五年生きて、初めての親友。

 嬉しいというわけでも、幸せというわけでもない。

 ただ、楽しくってしょうがない。

「……揺光?」

「なんでもありませんの。……さ、冷えてきましたし、中に戻りますの」

 何か納得いかない顔でうなずく結城。

 初めての親友が異性というのもまたおかしいものだが、それもまぁいいだろう。

 そうして気づく。

 私は本当に、いろいろなものを知らなかったのだ、と。

 ……莫迦な話だ、本当。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 昨日よりちょっとだけ輝いた今日を、しっかりと胸に刻んでいこう。



  * * * 



 ……あの後、私たちはこっぴどくしかられた。

 何をしかられたかは覚えていない。

 ただ、そのあとぎゅっと抱きしめられて。

 それが、とても胸を締め付けて、もう一度泣いてしまった。

 まぁそれでも、後腐れがないのは七紙さんの得意技で、一時間もすればけろっと普通に接してきた。

 それは、とても幸せなこと。

 ……いやその、セクハラがいつにもまして酷いんだけど、今日くらいは罰ということで我慢しようと思う。

 ついでに、魁斗と揺光ちゃんも怒られていた。なんでも、無茶しすぎだとかなんとか。

 責任の一端は私、ないし結城くんにもあるので、こちらとしてはしゅんとしながら隅っこにいるより仕方がない。

 そんな結城くんといえば、どうやら揺光ちゃんに負けたことが想像以上にショックだったらしく、剣の修行を一段と激しく始めていた。

 揺光ちゃんに話を聴いてみれば、揺光ちゃんは魔術で十分にいたぶってから、相打ち覚悟で止めを刺しにいったのだという。真っ向から剣戟を演じれば二秒と持たないとも。

 ……結城くん可愛いなぁとか思いながら、私は今夕ご飯の片づけをしています。

「あ、魁斗。お皿拭いておくからさ、先にそっちしまっちゃって」

「あいよ了解」

 魁斗と一緒に。

 前までなら、ここで気をひこうと色々努力したり画策したり妄想にふけってあはーんとかやってたんだけど、今はもうない。

 ……というか、あそこまで否定されて想っていられるほど一途でもなかったし、私。何より、根底から欺瞞だったわけだし。

 いや、愛に真偽なんてないとは今でも思っている。ただ、そう。

「あ、そうだ。魁斗、今日デートじゃないっけ?」

「そうだけど」

 時計を見る。七時ちょい前。

「間に合うの?」

「んー……走ればなんとか」

 さらっとそんなことを言いながら、魁斗はてきぱきと片づけを進めていく。……ホントすごいなぁ、これで遅れるつもりもなければ片づけを放りだすつもりもないんだしなぁ。

 そりゃあ惚れるわけですよ、相手さん。

「よし。じゃあ残りはおねーさんに任せなさい」

「……いいのか? まだ結構」

「いーの! デートなんだから、女の子を待たせるなんて許さないよ、私」

 そういってお皿をひったくる。

「……だから、目一杯幸せになってきなさい。おねーさんの命令です」

「……、言われなくても」

 魁斗は、ふーっと息を吐いて、

「じゃあ、後任せた」

「はいはーい。――いってらっしゃい、魁斗」

 エプロンを外して、いつもの黒いジャケットを羽織る。十字架のネックレスとか引っ掛けて、彼は外へ飛び出していく。

「……まったく、本当に」

 幸せになるんだぞ、とため息をこぼした。

「……安請け合いしちゃったなぁ……」

 このあと、喫茶店の掃除も一人でかぁ。

 まぁ、これも罰だ、罰。と一人納得して、黙々と作業を続ける。

 心の中で、もう一度、その台詞だけを謳いながら。



  * * *



 紅い世界で、二人。

 ほのかは、藍い瞳でこっちを見ている。

 すがすがしいほど、満たされた泣き笑い。

 ふわっと微笑むそいつは、本当に綺麗で。

 あぁ、なんだ。

 心配は無用、杞憂だったということか。

 ……思っていた以上に、こいつは綺麗だ。

 雪のように白い肌とか、

 手入れの込んだ長い黒髪とか、

 透き通った藍い瞳とか、

 高校生とは思えない胸とか、

 今更のように再認識している、自分がいた。

 そいつは、これで最後、と呟いた。

 何が、と問うのは野暮な気がして、黙って待っていることにした。

 星の見えない静かな夜。月だけが、笑顔で世界を照らしている。

 そんな場所で、その瞳でもう逃げない、と告げながら。

 それ以上に、幸せそうな笑顔で、誇らしげに彼女は言うのだ。

 たとえ嘘で、欺瞞であって、穢れしかないものだとしても、と。



  * * * 



 それだけ言えれば、餞には十分。

 この恋心にはその言葉と、それだけを添えて、さようならを告げる。

 さぁ、私はようやく私になれた。

 どうしようか。何をしようか。

 何を好いて何を嫌って、何に打ち込んで何をおろそかにしていようか。

 分からないけれど、とにかく、うれしい。





 ――愛していました。

 そういった後の、貴方の笑顔。

 













































































 ほのかが吹っ切れる話。予定していたエピソードはこれで全て消化。

 魁斗と同じようで根底から全く違う、そんな他人を省みない少女が白夜ほのかの本質なのであります。

 あー疲れた。キャラクター段階で三つ四つストーリーが決まってしまうのは悪い癖。これでほのかさんに張った伏線ともいえない何かは全て回収した、はず。

 ついでに揺光VS結城。上下関係のはっきりした友情ってどうなのよ実際。

 あと某所でもよく言われるけど、揺光の腹黒は確定です。結城は腹黒、結城は腹黒、と決めていたはずなのにへたれちっくになってしまったので、代わりという意味も含めて。

 剣術以外の全ての部分で負けている結城。あ、不幸レベルでも勝ってるか。


 ……なんというか。

 一連のSS、加筆してまとめたら一本の長編になるんじゃなかろうか、などと考えたら伏線一つ張ってしまっていた。あーれー?

 いつか時間が合ったらやってもいいかもなーと思いつつ今はつれづれなるままに日暮らし硯に向かひて以下略。

 それでは。

 
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